佐藤琢磨選手のインタビューも掲載された海外で活躍する日本人を紹介する書籍に、
ワーホリで世界に飛び出した日本人が掲載されました。
「日本から飛び出たい!」と思ったらぜひ手に取ってみてください。現在も海外で活躍する日本人18人が掲載されています。読むべき1冊です。ワーホリから言語ゼロ、貯金少で飛び出しているので読んでいて身近に感じられると思います。
皆さん人生にふと疑問を感じる瞬間があると思います。しかし、行動を起こしていないのは仕事や家族、金銭的理由のほかに、背中を押してほしい、勇気がほしい、そんなイメージがわかないということはありませんか。
そこで今回は、「海外に飛び出たい!」と思ったときに力強くあなたの背中を押してくれる2017年6月30日に発行された「日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと」のご紹介です。
先輩たちは、このどうしても踏み出せない最初の1歩をどのように踏み出したのか。
最近日本でもコーヒーブームが来ていますがオーストラリアでは日本がブームになる20年近く前から本物のコーヒーを飲む専門店が増えていきました。専門店で焙煎されたコーヒーは全く苦くなく、薫り高く、口の中で楽しませてくれるラテや、砂糖を入れないのにジュースのように飲めるエスプレッソなど シドニーには感動するコーヒー店が多く立ち並んでいます。
日本でいうところのお寿司屋さんのような立場でしょうか、数多くのお寿司屋さんが研鑽しているのでおいしいお寿司がいただけます。そしてお米の産地や魚のさばき方などにまで深くこだわりを持っているからこそ際立つお店や寿司職人が身だつのかもしれません。 そして私たち消費者も本格的なお寿司屋さんで食べるお寿司とコンビニに売っているお寿司の違いは日本人ほど明確に判断しています。
それと同じようなことがオーストラリアのコーヒーバリスタが育んでいます。産地、育成方法のみならずその土地の文化、コーヒーと食の係わり方など日本が学ぶ点は多く世界のコーヒー、カフェ文化を牽引しているとも言えるでしょう。
私はコーヒーが飲めなかったのですが感動したコーヒーを飲んだのはシドニーが初めてでした。シドニーで紹介されたコーヒー専門店でラテを飲んで驚きました。 苦味は一切なく香りが甘くて砂糖を使わないのみ甘く、すぐにお代わりをしたくなるほど感動しました。
更に小さなカップに入った紅茶を飲んだかと思ったらそれはエスプレッソコーヒーだったのです。 その澄通った紅茶のような見た目と香りの飲み物がまさかエスプレッソコーヒーだとは信じられず、ひどく感動しました。そのコーヒーを飲ませてくれたお店が今回の書籍でも紹介されている、アーティフィサーコーヒー。 アーティフィサーとは匠という意味だそうです。
Artificer Coffee | Specialty Coffee Bar & Roastery
シドニーは人口が多い分コーヒー店も多く、コーヒー舌の肥えたオーストラリア人が多く住んでいます。 3件4件とコーヒー屋さんが並ぶこともありますがオーストラリア人はおいしいお店にしか行きません。1日3杯、4杯コーヒーを買いにに行くことが不思議がられません。しかも缶コーヒーなどは飲まず、一杯ずつ丁寧に淹れられたコーヒーで素敵な時間を過ごすことがライフスタイルになっています。 行列ができているお店は正解です。
そんな競争の激しいシドニーで日本人で初めてベストバリスタに選ばれたササショウジ君が「日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと」でインタビューされています。
私もインタビューしたことがありますがササ君がすごいところはワーホリで渡豪し積極的に周りに溶け込んでいき、認められるまでは毎朝4時に起きて頑張り続けたというところです。朝4時に起きてカフェで働き始めるという生活を2,3年したかなぁと言われています。 すごい努力家!なのにいつも 誰でもできますよ と笑顔で背中を押してくれます。(一度くらいなら起きれるけど毎日は私は続きません。。)
シドニーのコーヒー屋さんを巡っては勉強する毎日の中 ササ君は超有名店であるCampos Coffeeで働いて勉強したいと思うようになります。 しかもその夢が叶って、さらにその後 Single OやMeccaという働けることがステータスになるコーヒー店で働き着実に技術と名を上げて行きます。そして2012年にシドニーモーニングヘラルド紙が選ぶベストバリスタに日本人として初めて選ばれます。
そして2014年には自身のお店を出すに至ります。 相当な苦労も多いはずなのにいつも笑顔で対応してくれるササ君のお店はシドニーのサリーヒルズにあります。お土産でコーヒー豆を買って帰ることもできます。
もう一人のワーホリ経験者はあのパリのミシュランレストラン「レストラン パージュ」のオーナー手島竜司さん。私も2年前にパリに行った折に伺いました。場所はパリの凱旋門の近くの16区です。 パリに行ったらどうしても行きたかったお店の一つでしたので渡航前からワクワクしていました。
手島さんは熊本の高校卒業後に料理の世界に飛び込みかっこいいからとフランス料理で働き始めます。 料理学校に通っていなかった手島さんは地元から東京と経験を積み26歳でワーキングホリデーでフランスに渡仏します。
実際にフランスで活躍している日本人シェフのほとんどがワーホリ経験者です。そしてみんなフランス語で苦労しています。 最近ではレストランのブログやFacebookでワーホリのバイトを募集されていたり、ワーホリを経験しているからこそ渡航後のビザのことも理解をしてくれるでしょう。
手島さんがすごいのは 30年間ミシュランを取り続けた「ルカ・カルトン」や、有名精肉店「ユーゴ・デノワイエ」で働いた経験を持っていることだと思っていたのですが「日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと」の中で想像し行間を読むとちょっと自分には無理だなというような努力がさらっと書かれています。 朝7時から夜中の0時まで仕込みをする生活が毎日だったり、名前を覚ることもしないオーナーからの扱いだったりとか、この本を読むことによって今の自分にはもっともっとできるという勇気がもらえます。そして海外でがんばるぞー!という勇気も貰えます。
2014年に「PAGES」パージュをシャンゼリゼ通りの近くにオープンするとなんと、一年半でミシュラン一つ星を獲得されます! 本当にすごいことです。
しかしそれはミシュラン獲得して当たり前というくらいの努力と苦労が想像できますし、認められる人は常に先を考えているんだなぁ、若い人はこういう人に触れて仕事ができれば幸せだろうなと感心させられました。
ワーキングホリデーで渡航した二人には共通点があるように思えます。共通点は現地に溶け込むことに集中していたことです。 それは言語を習得する努力を怠らず、それによって織りなされるコミュニケーションを大事にしてきています。 それはそう、日本でも同じ事が言えるのではないでしょうか。 丁寧にあいてと向きかってコミュニケーションを取っている人にしか人は集まらないのではないか、そして仕事を認めてもらえるということはそのような経験の積み重ねではないかとお二人から学ぶことができます。 しかしお二人とも渡航前には英語、フランス語を話せなかったのでやはり現地で仕事において認めてもらうためには語学向上の努力に情熱を傾けるということが必須条件であるようです。
この本でインタビューされている方々はみな同じように何かが決まっていて海外に出たのではなく出たからこそ頑張ったという感想を受けます。 それは日本にいても同じかもしれません。 日本にいるから頑張ろうと思って頑張っている人は何人いるでしょうか? 毎日頑張ってないと日本では5年後、10年後にはAIロボットに仕事はとられ、少子高齢化で社会保障費は高くなり、消滅可能都市で街から雇用がなくなっていく、そんな日本に住んでいる危機感をもっているでしょうか? 日本だから頑張れないというのなら、明日にでも貯金をかき集めて日本を飛び出しましょう。
「1回きりの人生なので」