今はコロナの関係で気軽に渡航することができない状況が続いていますが、昔と比べればとっても簡単に留学ができる時代です。ここで言う「昔」とは、10年や20年前の話ではありません。100年以上前にも、留学という文化はすでに存在していたんです。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として注目を集めた渋沢栄一 も、激動の明治時代に国を背負って留学した偉人のひとりです。
今回はそんな渋沢栄一や、お札のモデルに選ばれたこともある夏目漱石など、留学経験のある偉人達の留学エピソードをご紹介します!
= 目次 ======
・渋沢栄一<青天を衝け>
・夏目漱石<夏目漱石の妻>
・津田梅子<あさが来た>
・最後に
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渋沢栄一<青天を衝け>
江戸幕府の幕臣であった渋沢栄一は、1867年に開催されたパリ万国博覧会の幕府使節に選ばれ、フランスへ渡航しました。渋沢栄一はパリ万国博覧会を視察したあと、徳川昭武に随行してスイスやオランダ、ベルギーなどを訪問します。
この道中で渋沢栄一に語学を教えてくれたのが、鎖国時代に日本で医学を教えていたドイツの学者「シーボルト」の長男「アレクサンダー」でした。元々は外国人排除を望む攘夷派だった渋沢栄一ですが、アレクサンダーと出会い、交流を続けるうちに自信の考え方を大きく変えることとなりました。
当時日本は鎖国が終わって間もない時期であり、渋沢栄一のように異文化に触れて得た知見は、それからの日本にとって非常に大きな価値があり、渋沢栄一はその後の日本経済の発展を牽引していくこととなったのでした。
夏目漱石<夏目漱石の妻>
夏目漱石が留学したのは34歳のとき。ロンドンで「味の素」の発明者である池田菊苗や、貿易商社の駐在員といった日本人の友人たちと交流を深めつつ、知見を広げていきました。
ただ、留学が文部省から命令だったこともあり、日本に家族を残して留学することに夏目漱石は当初乗り気ではなかったとも言われています。それもあってか、留学中には「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」といったポストカードを日本に送っていたんだそうです!
あの夏目漱石も、現代の留学生とそう変わらない悩みを抱えていたんですね。とはいえ、今とは違って海外に対する知識や情報も少ない時代ですから、大変だったことでしょう。
津田梅子<あさが来た>
新5000円札のモデルにもなっている津田梅子は、なんと6歳の時に渡米しているんです!父親がアメリカ留学経験者だったこともあり、娘にも是非留学を体験させたいと考えて岩倉使節団に応募したようです。
その後、11年間アメリカで過ごすのですが、日本に帰国した際はアメリカと日本の女性の地位の違いにカルチャーショックを受けたとか。
当時は津田梅子のような人材が活躍できるような仕事がまだほとんどなかったものの、女子英学塾(現・津田塾大学)を立ち上げるべく尽力し、再度アメリカ留学をした際は、ナイチンゲールやヘレンケラーを訪問したそうです。
最後に
日本の成長を支えた偉人達。留学による経験が、そういった偉人たちに与えた影響は計り知れませんね!皆さんも留学を経験することで、過去の偉人たちと同じように、自身の価値観や世界観を広げることができるかもしれません。
今回紹介した偉人たちは、渋沢栄一<青天を衝け> / 夏目漱石<夏目漱石の妻> / 津田梅子<あさが来た>のように、それぞれ大河ドラマになっています。ドラマとして留学経験も再現されているので、興味が出たら是非チェックしてみてくださいね!
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