みなさん、こんにちは!大阪オフィスのMoeです。
いつもはフランスについてブログを書いているのですが今日はドイツについて★
なんと、2018年2月6日はドイツにとってメモリアルデー!
壁があった期間は、
1961年8月13日~1989年11月9日までの10316日。(28年2カ月と17日)
「崩壊後の期間」と「存在した期間」が同じとなり本日2018年2月7日(木)からは崩壊後の期間が上回ります。
私たちも、教科書などでも習ったベルリンの壁。とは一体どんなものだったのでしょうか?
1961年8月13日。壁建設が始まったドイツにとって運命の日です。
その当時は東ドイツの圧政に耐えかねた労働者が“自由”を求めて雪崩のように西ベルリンへ亡命していました。なんとかして、この流れを何とか食い止めるために東ドイツが取った最後の手段。
物理的に西ベルリンへ行けないようにする高い壁を作る。
そう。これがベルリンの壁です。
壁建設といっても、いきなり立派な高くて固いコンクリートの壁を築いたわけではありません。
東ドイツ側は、まず鉄条網などを道路上に立てて交通を遮断することで西ベルリンの周囲の境界を封鎖する作戦を立てました。
その後、徐々に石やコンクリート部材を使った壁を作り、西ベルリンへ逃げる者が出ないよう監視体制を強化していったのです。
実質的には東ドイツを外界から遮断し自国の体制を守る壁であったのが「ベルリンの壁」である。
このベルリンの壁はドイツ分断の象徴であり、かつ東西冷戦の象徴でもありました。
そして1989年秋の東欧革命に伴う東ドイツ国内の混乱の中、同年11月9日に東ドイツ政府の不用意な発表から、その日の夜に壁の前に多くの東ベルリン市民が押しかけて国境検問所のゲートが開き、数万人の市民が西ベルリンに入った。これを「ベルリンの壁崩壊」と呼びます。
Europe渡航者にかかわらず歴史を知りドイツの国民性を知ることも大事ですよね!★
Have a lovely day♡
Moeでした:)