こんにちは!福岡オフィスのTAKUYAです。
今回も前回からの続編でお送りさせて頂きます。
野球指導ボランティアVol.3~バンクーバーの朝日~
あの電話から1週間が経ち、バスと電車を乗り継いで指定された住所に向かいました。
案の定、その日のバンクーバーは雨。。。
「ここまできたのに中止とかやめてくれよう」と心の中で願いながら、ついに指定された住所に辿り着きました。
そこは、、、、
”Richmond Olympic Oval”
と五輪マークが書いてある大型室内施設でした!
「えっ?室内で野球をするの?」と疑問に思いつつ
中に入っていくと、そこは、、、
・アイスホッケーコート2面
・バスケットコート4面
・フットサルコート2面
それに加え、卓球コートやバッティングゲージにランニングトラックまでが同じフロアに併設されている超大型室内施設でした!
→日本にはない規模の大きさにビックリΣ(゚Д゚)
ここは2010年のバンクーバー冬季五輪の際に”スピードスケート”の会場として使用され、
日本の天皇・皇后も訪問したことがあるというくらい有名な施設で、
五輪後に現在のように改修されたというのが、この大型室内施設誕生までの過程になります。
日本では決して見る事のない大型施設に驚きつつ、
野球の打球音が聞こえるバッティングゲージの方に足をすすめていきました。。。
すると、そこには「Asahi」と胸に書いてあるTシャツを着ている子供たちが多数!
コーチ陣っぽい大人達が集まっている奥の方に近づいていくと、、、
「あれ?君が電話をくれた日本人?」と声をかけられ、
「あっ!そうです。よろしくお願いします!!!」とバリバリ体育系な挨拶で握手をすると、
早速、選手たちを集めてくれたその人は子供たちに英語で話しかけました。
「あれ?朝日はみんな日本人の子達とかじゃないの?日本語は通じないのかな?」と、
選手たちとの顔や会話を見ていると、、、
見た目は明らかに日本人っぽい顔立ちな子がほとんど、、、(中には他の人種の子もちらほら)
会話は、、、めちゃめちゃネイティブスピーカーの英語でコミュニケーションを取り合っていました。
「なら、自己紹介をお願いします!」と子供たちの輪に投げ出された私は、、、
拙い英語で簡単な自己紹介を行いました。
→My name is、、、、、(笑) ご想像にお任せしますw
なんとか子供たちから歓迎の拍手をもらい、選手たちは練習に戻っていきました。
取り残された私は先ほどのコーチらしき人に声をかけ
その人から「バンクーバー朝日」の歴史や現在の活動内容に至るまで詳細を聞きました。
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◆バンクーバーの朝日とは?
⇒バンクーバー朝日は、1914年から1941年までカナダ・バンクーバーで活動していた日系カナダ移民の二世を中心とした野球チームです。
当時の日本人は”人種差別”と過酷な”低賃金労働”に耐えながらも勤労に勤しんだため、
現地の白人たちから「日本人が白人の仕事を奪っている」として排斥されたり日本人街が襲撃されることもあったといわれています。
そんな中で、「日本人の誇りを白人に見せつけたい」という思いから、”バンクーバー朝日”という野球チームは結成されました。
野球のプレー中であっても、ラフプレーを受けたり、白人審判による不公平なジャッジに苦しめられるも、日本人の精神である”フェアプレー精神”を貫き、いつしか多くのカナダ人を魅了し、日系人とカナダ人の架け橋になっていた伝説の野球チームとなりました。
この功績が認められ、約60年の時を経て2003年にカナダ野球殿堂入りチームに選ばれ、再び脚光を浴びました!
そして2014年に映画「バンクーバー朝日」が制作・公開されたこともあり、バンクーバーにて「新朝日軍」として復活したというのがこれまでの簡単な生い立ちになります。
(興味を持たれた方は、映画「バンクーバー朝日」を是非ご覧ください!)
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つまり「新朝日軍」として復活したチームは、現在も日系カナダ人を中心として活動しつつも、
カナダという移民国家の中で、国籍や人種で差別することなく、
様々な国籍や人種、バックグラウンドの子ども達が集まり、”野球”というスポーツを通して子供たちが交流している野球チームになります。(5歳~15歳まで)
そのため共通言語は、もちろん”英語”!!!!
中には多少日本語ができる子供たちもいたものの、見た目は日系人でも日本語が話せない子や、
日本に行ったことのない子供たちも多く、日本でしか暮らしたことない私にとっては当初すごく違和感に感じたのを今でも覚えています。
そんなバンクーバー朝日の「新朝日軍」で指導していくことになった私ですが、
指導にあたる上で、大きな”試練”が待ち受けていました。。。
次回【野球指導ボランティアVol.4~日系カナダ人の野球文化~】に続く
福岡オフィス Takuya